品種改良の歴史

品種改良

目 次

品種改良
  └ 品種改良とは
  └ 日本のお米の品種改良の歴史
  └ 人工交配による育種法の始まり
  └ 全国の米の育種体制
品種改良の方法
低アミロース米

 

品種改良とは

 

 美味しさや高い収穫量、病気への強さ、冷害や高温への耐性など、生産者や消費者が望む新しい特性をもった品種を開発する事を品種改良と言います。

 

 作物の品種改良は、別々の品種をかけ合わせる事によって新しい品種を生みだす交配育種が基本です。改良には多くの時間と労力がかかりますが、病害虫に強い品種に改良すれば、農薬の使用量を減らす事が出来るため、栽培コストの軽減になり、より安全性の高い作物を生産出来ます。このように生産者にも消費者にもメリットがあるような品種を供給する為に日々開発が進められています。

日本のお米の品種改良の歴史

 

 中国大陸からもたらされた稲は、日本の大地の中で自然と変異したものや自然交配したものが育っていきました。

 

 平安時代頃には品種への関心が高まり、「稲の花が咲く時期」や「茎の長さ」で区別され、新しい品種の発見など品種の分類が始まり、江戸時代まで多くの品種が育てられていたと言われています。

 

 その後、明治36年に人口交配による稲の品種改良が行われるまでは、元々あった稲の品種の中から優れた特徴を持つ稲を見つけて選ぶ「分離育種法」を行っていた為、現在のように何回種を収穫して、又栽培しても必ず同じ性質を持つ品種になるように「固定」されておらず、種を収穫して、又栽培しても全く同じ特徴を持った品種になるわけではなく、少し違った特徴を持った稲ができていました。

 

 この方法で、現在数多くある品種の祖先である「上起」、「身程吉」、「愛国」、「神力」、「旭」、「亀ノ尾」、「日の出」、「大場」、「銀坊主」などが生まれました。

 

 明治後期になると、「たくさん収穫できる、美味しくて病気や寒さに強い品種」を人の手で作ろうという事になり、日本で初めて優れた稲どうしを組み合わせる「交配育種法」という方法を使って、本格的な稲の品種改良が始められました。

 

 この方法によって日本で初めて作られた品種が、国立農事試験場陸羽支場で、寒さに強く、品質が良く、美味しいが病気に弱い「亀の尾4号」と病気に強い「陸羽20号」を交配して作った、「陸羽132号」でした。

 

 この品種は寒さに強く、当時の東北地方で広く栽培されました。

 

 また、稲の品種として初めて農林登録された「水稲農林1号」 (極早生種で食味もよく多収量品種の寒冷地用水稲であり、で第二次世界大戦中・戦後の食糧生産に貢献し、多くの人を飢餓や栄養失調から救ったとされる。)を生みだしました。

 

 その後も様々な品種改良が行われ、現在最も多く行われている品種改良の方法は交配による方法ですが、最近では、親の特徴を子へ引き継ぐ為の仕組みの研究が進んできた事により、稲の細胞の中でその稲の特徴を決める働きをしている遺伝子を、直接組換える方法の研究も進んでいます。

 

 明治時代に始まった品種改良の目的は、なんといっても日本が近代国家への道を歩み始める過程で、農作物の生産力の増大が重要課題となり、多収穫で耐病(いもち病)性に強いお米を作る事でした。

 

 その後、大正時代には、肥料の硫安生産の増加により、耐肥性や耐倒伏性も求められるようになり、第2次世界大戦後は、質の良いお米が求められ、昭和50年代以降は、お米の供給が過剰状態になり、食味の良いお米が求められるうになるなど、その時代に求められる目的に合わせ、「暑さや寒さに強い」、「病気に強い」、「収穫時期が早い」、「風などで倒れにくくて育てやすい」など栽培のしやすさや、「美味しい」、「収穫量が多い」などをより改善し、もっと美味しいお米、もっと育て安いお米、より安全で安心なお米を作って農家や消費者に喜ばれるように、親よりもより良い特徴をもった稲を作る為に行われています。

 

 たとえば、北海道では「早生で冷害に強く、ちゃんと実る美味しいお米」の品種を作ることです。

人工交配による育種法の始まり

 

 日本で本格的な米の品種改良が始まったのは、明治36年の事です。日本が近代国家への道を歩み始める過程で、農作物の生産力の増大が重要課題となり、その年、国立の農事試験場で品種改良に力を入れる方針が定められたのです。それを受けて米の品種改良に取り組んだのが、農事試験場の技師だった加藤茂苞(しげもと)さんでした。

 

 現在、わが国で行われている米の品種改良は、人工交配によって優れた品種同士を組み合わせる「交配育種法」が主流ですが、加藤さんがその基盤を作ったことから、のちに「品種改良の父」と称えられることになります。

 

 人工交配の育種法によって日本で初めて作られた品種が大正10年、秋田県の国立農事試験場陸羽(りくう)支場で育成された「陸羽132号」です。この品種は寒さに強く、当時の東北地方で広く栽培されました。農学校で教鞭をとっていた詩人宮沢賢治も「陸羽132号」の普及に努めたといわれています。

 

 昭和に入ってから数えても、国の農業試験場で改良された品種は約400種類にのぼります。また、都道府県の試験場が改良した品種も300種類以上あり、これまで700品種を超える米の品種が開発されてきました。この中の300品種くらいが、現在、全国で栽培されています。

 

毎年各地で新しい品種が生まれている

 

 日本を代表する米の品種である「コシヒカリ」は、昭和19年に新潟県農事試験場(現・新潟県農業総合研究所)で、品質、食味ともに優れた「農林1号」と、いもち病に強い「農林22号」を交配し、昭和31年に福井農事改良実験所(現・福井県農業試験場)が命名登録した品種です。当時、米の最も深刻な病気であるいもち病に強く、品質が良くておいしい品種を作ることが目標でした。しかし「コシヒカリ」には、茎が弱く倒れやすい、いもち病に弱いなど、栽培する上での難点もありました。

 

 しかし、品質や食味に大変優れていたことから生産地が広がり、誕生から半世紀以上たった今も日本人に愛される、おいしい米の代名詞にもなっています。「コシヒカリ」は北海道、東北の一部を除き、全国的に作られており、昭和54年以降、30年以上連続で作付面積第1位を維持しています。

 

 今日、栽培されている「コシヒカリ」や「ひとめぼれ」などの品種のほとんどが、明治時代より前から、もともとわが国にあった米を親として、長い時間と手間をかけて改良して作られた品種です。そして、現在でもそれぞれの地域の気候条件やその地域で重視すべき性質を兼ね備えた品種を作るために、主食用の米だけでなく、酒米、米粉用米、飼料用米の改良が地道に続けられています。

 

全国の米の育種体制

 

 それぞれの地域で気候条件が異なるため、重視するべき性質も自ずと異なります。食味・収量性・耐倒伏性など共通に必要な形質に加えて、それぞれの特性を備えた品種を作る為に、各地で品種開発が進められています。

 

 

 

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品種改良の方法
低アミロース米

 

 

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